漆継ぎ研究室



 漆継ぎによって修復された器は、傷が見えないように元通りになるものではありません。

 愛着を持って使われた器が、時間をかけて直される。

人の手がさらに加えられることで、器との距離が近くなります。

それは以前に増して愛着が湧く気がします。これは上手いとか下手とか関係なくそう思います。


 漆継ぎを学ぶ上で大切なのは、

 「直して使い続けたい器が生活の中にある。」ということではないかと思います。

仮に僕がその器の作り手であるならば、作り手としてとてもうれしいことだと感じます。

 現在、世の中に金継ぎ教室が増え、「金継ぎ」という言葉を耳にする機会が多いのは、直して使い続けたい器が生活の中にある方が多くなったということなのでしょう。

作り手と使い手の距離が近くなり、簡単に捨てられないものになったのかもしれません。

だとすると、金継ぎの技法はただの直すという技術だけではなく、生活を作るすべの一部なのだと感じます。

 壊れたものは直ります。むしろもっと愛着がわく器になるでしょう。


そんなに制限を設けていない教室ではありますが、一つお願いがあります。

それは、

・骨董屋さんなどで、初めから漆継ぎ目的で販売している器をなるべくなら買わないこと。

・割れた器がないからといって、無理に漆継ぎ用として割ってこないこと。


何か違うと思ってしまうんです。

きっとそれで直った器は、もともと気に入って使ったものでないから使わない気がしてしまいます。

欠けや、割れに、思い出がないから、退屈なただの作業になると思うんです。

多分楽しめないような気がします。

行為の向こうに、人や、思い出が見えるのがこちらの勝手な理想です。

割れた器の全てを直すのは本当に良いことか、

割れてしまったこともきっと何かのメッセージかと受け止めて、

直すかどうかも一緒に考えていきましょう。